*定年おじさんの遍路雑感
癒しの風景を探して
     (21日目)

21. 非日常から 日常

2002.5.31第28回更新

自転車を宅急便で送り返そうと、家から送ったのと同じ運送屋さんに電話した ところ、取り扱い地域が違いますと言われ、取り付くしまがありません。あの 時は受け取ってくれたではないですかと掛け合ってみたが、やはり取り合って くれません。着先指定なら受け取るが、発送の場合は取り扱い地域が違うとの説 明でした。会社規則上は正しいのでしょうが、何となく納得がいきません。す ったもんだの末、取り扱い地域の営業所を調べてもらって、再度電話を入れ直 しました。
徳島市の大手ス−パ−でお土産品を探したが、お菓子以外には、それらしいも のが見当たりません。近くの店員さんに「お土産屋さんを知りませんか」と尋ねる と、先程見たお菓子屋さんを指差して、「当店外のことは分りません」と「正確過ぎる」答え が返ってきました。確かにそれは正解でしょう、社員教育の徹底したス−パ− にビックリしました。
こんなことは、日常生活の中ではよくある事ですが、20日間も遍路という非日常 を暮らしてきた身には、突然「規則だ、テリトリ−だ、正確だ」と言われても、 直ぐにはついていけない状態でした。
しかし、考えてみれば、この「規則だ、テリトリ−だ、正確性だ」が無ければ効率 的な経済活動が出来ないのも事実です。
四国の遍路道という空間にも、人々は日常を生き、経済活動は営んでいます。 その空間に、期間限定で非日常を生きるお遍路が入って来ると、その時は、そこに 住む人々も同じ様に非日常を生きてくれます。これは一体どうしたことでしょう。
一つには、天才空海を育てた大らかで手付かずの自然が、遍路道として今に残り、 そこを訪れるお遍路や、それを支える人達を、優しく包み込んでくれているからでしょ う。又、空海開宗の真言宗の教えが、お大師さん信仰として、知らず知らすに我 々日本人の血の中を流れ、八十八ヶ所遍路道を支え、この空間に昔から生 活している人々のDNAとして染み込んでいるからではないでしょうか。
だからこそ、人々は、時として日常生活を抜け出し、遍路と言う非日常を過ごしに この地にやって来たくなるのではないでしょうか。
高野山へは、徳島港から和歌山港までフェリ−を使います。2時間の船旅です。 畳敷きの客室に、横になりながら見ていたテレビに、サッカ−全日本の中田や小 野の活躍が大写しされています。加藤紘一議員の9000万円マンション疑惑が取 りざたされています。
船が和歌山港に近づくにしたがって、おじさんは、又一歩日常に近づいて行くような気がし ます。 明日からの日常が、20日前と少しは違う日常を生きられればいいので すが、、、。



2002.3.28
初めての宿坊 熊谷寺夕食


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