*定年おじさんの遍路雑感
癒しの風景を探して
     (18日目)

18. 250人 コミュニケ−ション

2002.5.28第25回更新

79番天皇寺、80番国分寺と順調に打ち終わりました。ここ国分寺町には、遍路 に出る前から寄ってみたい所がありました。納経所のお坊さんにその住所と、 会社名を見せて、何処にあるのか尋ねてみました。ところが、場所は分るがが、そんな会 社は知らないとのこと、、、。
昨夜も宿のおやじさんが色々調べてくれたが、結局分らなかった会社です。104番 で探して、電話するしかないようです。


2002.3.25
80番札所 国分寺仁王門


おじさんが、子供の頃から常備薬で飲まされていて、今も飲みつづけている薬が あります。おやじの代からの薬です。風邪だ、腹痛だ、疲れだと言って は、医者に通いながらでも飲んでいたような気がします。ひょっとすると、今流 に言えば、サプリメントの類かも知れません。効能書きがふるっていて、八百万 の病に効くような書き方がしてあります。変ったところでは、夜泣き・ねあせ等 にも効果があるとか、、、。本当かなあ、、、。その会社は四国の国分寺町にあることは、昔から 聞いていました。ここはひとつ、永年の疑問を解決するためにも、工場見学でも させてもらいたいと思っていたわけです。
近くの商店で聞いても誰も知りません。結局104で確認し、電話がやっと通じま した。電話に出た女性の話では、予約無しでは工場見学は出来ませんとのこと、 出発前に調べておくべきだったと、悔やまれますが後の祭りです。それでも効能 書については、別の男性が説明してくれると言います。暫らく待つと、丁寧な口 調の男性が出て、遠方からの来客に工場を見せられないのは申し訳ないと断って から、効能書きの説明をしくれました。効能書きを、今流に書き換えるについて は、お役所か何処かに再申請しなければならないとかで、いまだに当初の書き 方で通しているとのことでした。薬の成分には動物臓器が入っていて、心臓の 働きを活発にして血流をよくし、基礎体力をつけることを目的に作られている とのこと。おじさんの常備薬的な使い方は、間違っていないとお墨付きを貰いま した。永年の疑問が解けたようでほっとしました。こうして我家の伝承常備 薬は引き継がれていくのでしょうか。それにしても、家に帰ったおじさんが、 息子達夫婦にこの話をしたところ、効能書きについて否定も肯定もせず、ただ 笑っているだけでした。
一件落着したところで、次は13km先の81番白峯寺です。攻略本には「80番→8 1番には、11号線を通ると分りやすい」と書いてあります。人に聞きながら11号線 に出ると、この辺の11号線は道幅も大変広く側道もしっかりしていて、気持ち のよい走りが出来ます。どんどん走りました。しかしこの気持ち良さが落とし 穴です。後から分ったことですが、同じペ−ジの右隅に「高松まで10km、83番 へ直行」と書いてあり、これを見落としていました。
途中で道を聞いたおじさんも呆れ顔で断言しました。「ここまで来てしまって は81→80→83番札所と、一部逆打ちするしかないよ」と言って詳細な地図を書い てくれました。
こうしたてんやわんやの逆打ち騒動の後、83番一宮寺を打ち終え、84番屋島寺 近くの「広瀬旅館」に着いたのは、17:40と、今までで一番遅い宿着になってしまいました。
それにしても、今日は何人の人に道を尋ねたのでしょう。道を歩いてい るおじさん、庭に立っている小母さん、自転車で信号待ちしている高校生等 出来るだけ仕事中でない人を探して聞きまくりました。しかし、11号線を走って いると、聞く人がいなく、やむなく車のディ−ラ−に入って修理工の人にも尋ね てしまいました。皆さん本当に親切に教えていただきました。それでも今日の ような状態になってしまい、我ながら呆れてしまいます。
考えてみれば、遍路初日のコ−ス間違いを教訓に、札所から札所への各区間で最初と 中頃と終わりの3回は道を訊き、ついでに食堂を聞き、珍しい花の名前を聞きまし た。結願までに、少なく見積もっても、86*3=258人の土地の人にお世話になった ことになります。
振り返って、我々の日常生活にこれだけの遍路が押し寄せ、こうして道を聞いて こられたら、どんな気持ちになるのでしょうか。1200年続く遍路道という空間 に住む人々に引き継がれた、接待するという伝統と、それを守る気持ちがなけ れば、とても対応出来ることでは有りません。
「四国遍路ひとり歩き同行二人」にも「遍路は、進路を住民や道人に尋ね、その情 けにすがりながら札所を巡るのが本来の姿。地図や道しるべにばかり頼って対 話を欠いた修行は意味をなさない、、、」とあります。これを素直に、大らかに受 け入れてくれている土地の人達に、只々感謝です。更に、納経所のお坊さん、遍路宿のおやじさん、おかみさん、食堂のおばあ さん等々。又土地の人だけでなく、同じ遍路同士の交流も自転車遍路とはいえ、 数え上げれば結構な人数になります。
「定年おじさんの遍路雑感」では、主に1200年という長い間、遍路というものを 受け入れてきた四国の風景と土地柄について書いてきました。
人との交流については殆ど触れていませんが、無かったわけではなく、書き出 せば限りが無いほどの対話があり、情けを受け、教えられました。 遍路で貰った情け、教えはこれからの生活に生かし、何処かにお返しなければ なりません。
リストラに悩んだ末、これを積極的に受け入れ、次へのスプリングボ−ドに しようとしている人達の多かったこと。自転車で沖縄から北上中に四国遍路を していると言う同県人の若い女性、おじさん達が死ぬ思いで廻る八十八ヶ所を 事もなげに廻って見せる、バイタリティとしなやかさ、、、。今年卒業の大学 生。内定会社に就職してしまってよいものか、もう一度考え直そうと遍路に出 たと言っていました。定年退職後、夫婦で廻る車遍路の人達。若い頃出来なか った先祖供養をして廻っている人達、、、等々。この17日間、思い出しても実 に色々な人達と対話しました。大変な人数になります。その一人一人から沢山 のことを教えられました。その一つ一つをこれからの生活の中で、おじさんなり に消化し、結晶化しなければなりません。そして、必要な時に、その結晶を取り出 すことが出来るようにしたいものです。それがこの遍路旅から貰った宿題です。


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