*定年おじさんの遍路雑感
癒しの風景を探して
     (10日目)

10. 優しさ 風景U

2002.5.20第17回更新

今日は39番延光寺、40番観自在寺と二つの札所を廻り、更に脚を伸ばして宇和 島市の手前まで100km走を予定しています。朝から快晴、気分よく竜串の宿を 飛び出しました。しかし走り出してみると、地図で見る通りトンネルが多く、 そのたびに山坂が現れ、一ヶ所として平坦な道はないような気がします。延光 寺を打ち、暫らく走るといよいよ菩提の道場・愛媛県に入りますが、とても菩 提の境地になれません。やはりここも修行の道場のようです。
だらだら坂の上下を何度も繰り返しているうちに、足に掛かる負荷の感じで 無意識にチェンジを落とし、過負荷にならないような走りになっていることに 、慣れとはいえ我ながら感心します。
こうして無心で走っていると、時としてお大師さんは素敵な風景をプレゼントし てくれることがあります。
宿毛まで後8kという山間の田舎道を走っている時、道路右側の歩道から、 逆側の誰かに向かって大きく手を振っているおばさんを見かけました。 後ろから近づくと、なにやら大声で話し掛けている様子です。追い抜きざま 聞こえてきたのは「そこは温くくていいね」でした。笑顔で話し掛けているそ の先は、道路の逆側の家の中の人に向けられているようです。廊下のガラス戸 越しに松葉杖を突いた体の不自由そうなお爺さんが、焦点の定まらない目つき で外を眺めて立っていました。声など届くはづもないのに、「そこは温くくてい いね」の挨拶を、当り前の日常の挨拶として掛けて通る風景は、近頃見かけるこ とのない貴重な風景でした。声は届かなくても気持ちは通じるのでしょう。
忙し過ぎて、おじいさんがそこにいるとも知らず通り過ぎていく現代人の生活の中 にあって、なお、心の挨拶を普通に交わして通るおばさんは、新鮮で眩しく見えま した。ひょっとすると、おじ さんの周りにも、優しさの風景は日常的にあるのかも知れません。見過ごしているだけで、遍路 という非日常から日常を見て、初めて見えてきたのかもしれません。
優しさの風景と言えば、2・3日前56号線を走っていた時の風景も目に焼き付 いて離れません。広い道路の向う側に、乳母車を押した遍路の1団が、ゆっくりゆ っくり歩いています。乳母車で遍路とは思いも付きませんでしたが、確かに先に 立つおじいさんと、後ろを歩くお婆さんが1台ずつ乳母車を押しています。おば あさんの横には、金剛杖を突いた足元不案内な様子の娘さんと柴犬がついています。 おばあさんは、娘さんに向かってなにか話し掛けながら歩いているようです。歩 く度に鈴の音が小さく聞こえてきます。どんな理由での遍路旅かは知る由もあ りませんが、こんなに長閑で優しそうな遍路が現代でもあるのかと目を疑うほ どの風景でした。
子供にせよ孫にせよ、隣の体の不自由なおじいさんにせよ、弱いものに手を差し 伸べる優しさは誰の気持ちの中にもあるはずなのに、一度現代というスクリ− ンを通すと、やれ「弱者も自立を」とか、「弱いものは強いものに取って替わら れるべきだ」とか、優しさの心に封印して走り回る現代人の生き方は、何処か間 違っているのではないでしょうか。「自立」も「交替」もそれ自体は必要でし ょう、しかし、それ以前に弱いものに徹底的なやさしさで、溺愛と呼ばれるほど の優しさで接しているでしょうか。その上での「自立への送り出し」であり、 「弱者から強者へのバトンタッチ」であるべきでしょう。
四国八十八ヶ所を世界遺産にという運動があるようですが、自然や建物の美しさ だけでなく、ここに住む人達の、今に残る精神生活の豊かさも含めた世界遺産登 録であってほしいものです。 ここで心の洗濯をさせてもらったおじさん遍路の願いです。



2002.3.17
40番札所 観自在寺


トップへ             次へ