*定年おじさんの遍路雑感 癒しの風景を探して (8日目)
国民宿舎土佐の坂道を下り切った所に青龍寺は有ります。唐の青龍寺に倣って 造られたというお寺です。そんな目で見ると何となく建物に中国風を感じます。 ガイドブックには海の寺と紹介され、土佐の漁師達がこのお寺にお参りして から波高い南の海に乗り出していく光景が頭に浮かびます。海の色の濃さとい い、弓なりの水平線と言い、「気が付けば遠くへ来たもんだ」という気分になり ます。 2002.3.15 36番札所清龍寺 仁王門 2002.3.15 仁王門入って左手の三重塔 景色の良い浦ノ内湾を左手に見ながら1時間ほど走ると56号線に出ます。この 延長線上に長い長い久礼坂・七子峠が待っています。その前哨戦が焼坂トンネ ルというわけです。このトンネルには、歩行者、自転車用の側道はなく、 狭い・暗い・長いの3悪に加え、トンネルの中は登り坂という最悪のトンネル です。おまけに間抜けなことに、おじさんは後ろを照らす懐中電灯のスイッチ を入忘れたまま振り続け、996mを通り抜けていました。本当に生きていて良か ったと後になってぞっとしました。 峠を越えると中土佐町に入ります。いよいよ本番の久礼坂・七子峠に挑戦です。 「攻略本」には「ヒルクライムの得意な人にはたいした坂ではない」と書いて ありますが、おじさんにとっては大変な坂道です。今日の日記にタイトルをつ けるなら「何処までも続く坂道の風景」と言うところでしょうか。変速ギヤを 落とし、3-5kmのスピ−ドでゆっくりゆっくりと休むことなくペタルを漕ぎ続 けます。こういうだらだらと続く長い坂道は自転車にとって1番の苦手とする ところです。 自転車特有の3点支持の前傾姿勢で何処までも漕ぎつづけていると、お尻と腰が 徐々に痛くなり始め、坂道の途中から背中に1枚鋼板を入れたように固まって しまいました。遍路初日の脚の痙攣、次いで焼山寺、太龍寺打ちでの腕、肩の 痛さ、そして今日のこの尻、腰の痺れと痛さ、これでダメ−ジは全身に行き渡 ったことになります。もうこれ以上痛くなる所は無いと、半ば自棄気味に何処 までも坂道を漕ぎ続けました。四国には平坦な道があるのだろうか。これは正 しく修行の道場です。 そんなこんなを考えながら6kmの久礼坂をやっとの思いで登り切り、七子峠に 到着しました。道端に腰を下ろして一休みしながら峠の向こうを振り返り、 有名な女子マラソン選手の言葉のように、「此処まで登って来た自分を誉めてやりたい」気分に なりました。ここを過ぎると窪川町です。37番岩本寺を打ち終え、今夜の宿 「民宿さかうえ」に到着した時は、ダウン寸前、へろへろという状態でした。玄 関まで出迎えてくれたのは、かなり高齢のおばあさんです。定年おじさんも、 このおばあさんから見れば、まだまだ青二才と言ったところでしょう。驚くことに、 なんとこのおばあさん、一人で民宿を切り盛りしていると言うではありませんか。 「疲れたろう。お風呂が沸いていますよ」と言いながら狭くて急な階段を両手 を突きながらゆっくり登って行くお婆さんの後姿を見て、へろへろだったおじ さんも、気持ちが一遍でシャンとしてしまいました。たった一人の遍路客の為に、2階へ の狭い階段を上り下りし、部屋に布団を敷き、お風呂を沸かして待っていてく れたおばあさんに、只々感謝です。 夕食は、おばあさん手作りのほうれん草のお浸しと野菜の煮付け、それに魚の塩焼きの、 シンプルですがボリュ−ムたっぷりの料理が並びました。「さあどうぞ」と言 いながら、おばあさんも食卓につきました。こうして2人で囲む食卓は年取った息 子と、なお年取った母親の長閑な食事風景に見えます。ポツリポツリとおばあ さんは話します。30年前に亡くなったおじいさんとこの民宿をはじめたこと、 当時は大勢の遍路客が来て繁盛したこと等、本当に懐かしそうに聞かせてくれま した。食事も終わり、後片付けをしながらおばあさんは「泊り客は少なくなっ たが、お四国を廻る人がいる限りお遍路のお世話は続けたいねえ、、、。」と 独り言のように言っているのが聞こえました。今でもお遍路を暖かく迎え、接 待する「お四国という風景」は残っていました。82歳にしてなお、お遍路の お世話をしたいというおばあさんの言葉の中に、人が生活する場所としての 「四国」ではなく、尽くす人がいて感謝する人がいる、そういう仏様の国 「お四国」はありました。 建物と言い、食事と言い、決して今流でないこの宿は、若い人にはちょっと合わ ないかも知れませんが、おじさんには「お四国の風景」が残るとても落ち着け るところでした。 お休みなさいの挨拶をして2階に上がり外の空気を入れようと窓を開けたら、すぐ 下から海鳴りの音が聞こえてきました。今晩はいい夢が見られそうです。
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