*定年おじさんの遍路雑感
癒しの風景を探して
     (7日目)

7. 優しさ 風景T

2002.5.15第14回更新

29番札所国分寺への道がさっぱり分らなくなってしまいました。道を尋ねる にも10Km前後の所にある札所の場合が一番厄介です。尋ねる自転車遍路の方は、 10km先を比較的近いと感じて、つい「○番札所○○寺へは如何行ったら良いで しょうか」と訊いてしまいがちです。若い人達は、それだけ離れたお寺 の名前はまず「知りません」が一番多い答えです。お年寄りで、特にご婦人の場 合は寺名は殆どの人が知っています。しかし、その道筋の説明となると他国者に は理解しがたいものとなり、教えるほうも聞くほうも一生懸命名なだけに結果の 方は、、、となってしまいます。やはり聞き方の「骨とマナ−」は、聞く側が早 くマスタ−しなければいけません。
5km以下なら寺名で通用するようですが、それ以上は目印の建物、公園、駅、役場 等生活に密着した場所名を挙げて聞くのが良いようです。さらに遠くの場合、 20Km、50km先の札所はやはり道路NOが良いようです。特に若い人に道を聞く時 は、どんな距離でも寺名より目印となるコンビニ、食堂、学校等を尋ねた方が良 いようです。「人を見て道を訊け」という当り前のことを、四国の多くの方々に ご迷惑をかけながら把握したわけです。こうして人の情けにすがり、朝の通勤 時間帯で込み合う狭い道路を走り、畑を通り抜け、やっとのことで国分寺へ到着 しました。大変な大回りをしたようです。
どの辺のお寺からか、本から抜け出たようにきちっとした遍路装束のお爺さんと、 20歳前後の孫らしい青年の二人ずれ遍路と顔を合わすようになりました。34 番種間寺でも顔を合わせました。お爺さんの運転手を買って出るとは、今時感心な孫もいる ものです。青年に「ご苦労さんだね」と挨拶したが、それ程しっかりした反応も なく、目の前をすーっと横切って行きました。お爺さんはと見ると真剣に読経をして います。その後ろ姿で思い出したのは、神峯寺で見た70歳過ぎのお遍路の真剣 な読経の後姿です。その真剣さにおじさんも身を引き締めたのを憶えています。 あの時は、お孫さんと思しき青年に気がつかなかったが、この祈る姿は同一人物 に間違いありません。この二人ずれ遍路、所々でおじさんの軽い気持ちのお祈 りに喝を入れてくれます。
お参りを済ませたおじさんが、自転車の置いてある駐車場まで出てきた時、二人 ずれ遍路は既に駐車場にいて、どうしたことかお爺さんが助手席側のドアを開 けて青年を乗せています。その後、車を半周してお爺さん自身が運転席に乗り 込んだのです。おじさんは境内で青年に「ご苦労さんだね」と声を掛けたばか りだというのに、、、。頭の中が混乱気味のおじさんがぼーっと立っていると、お 爺さんと目が合い、おじさんは慌てて目礼しました。運転席の窓越しにお爺さん も笑顔で会釈してくれました。それから何事か助手席の青年に向かって話 し掛け、ゆっくりとスタ−トして行きました。ほんの1・2分の間の出来事です。 ゆっくりゆっくり遠ざかっていく車の後ろ姿を見送りながら、おじさんは訳も 分からず目に涙を浮かべていました。


2002.3.14
34番札所種間寺 門前


「優しさのいい風景」を見せてもらいました。おじさんが青年に話し掛けた時、 返事を返してくれなかったのがやっと分りました。幾つになっても可愛い孫息 子を連れて遍路旅をするお爺さんの優しさがじわーっと胸に広がり、何とも言えな いすがすがしい気持ちになりました。心の中は晴れやかで、顔は半べそをかいて 立ち尽くしているおじさんを見て、人はなんと思うのでしょう。おじさんは 慌てて自転車に跨りました。


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