小さな旅行記(自転車ツ−リング実践の巻き)   

知多半島一周小旅行顛末記(新四国八十八カ所巡り)
2000.8.28第1回更新


お盆も過ぎ知多半島の海水浴客も減りだしたことだろう。海岸道路のあの混雑も一段落し交通事情も良くなったに違いない。又自転車に乗り始めてはや一ヶ月半が経過し約250kmの足慣らしも完了した。ここに知多四国八十八カ所巡礼小旅行の機は熟した。バガボンのパパ流に言えば「今こそ計画を実行に移す時なのだ。いざ出発!」
今回は世事、家事都合により巡礼小旅行は3回に分けて実施した。ここにその顛末を記録し今後の自転車巡礼者に少しでも参考になれば望外の幸い。

1.日程&各種デ−タ
     
回数 −−−月 日 時−−−−−−巡拝札所番号−−−−走行距離−−平均スピ−ド−−
第1回 8/16 6:30−16:00    1番札所−12番札所    72.3km    13.7km/h
8/17 6:50−18:00   13番札所−35番札所    73.3km    13.9km/h
8/18 7:30−18:00   36番札所−65番札所    81.1km    16.6km/h
第2回 8/24 6:00−18:15   66番札所− 1番札所    96.9km    15.6km/h
第3回 9/08 6:56−15:00   37番札所−39番札所    42.7km    17.6km/h(往き21.3km)

注)1.今回合計走行距離は366.3kmとなった。この数字はツ−リング計画を三回に分け、そのそれぞれに家からの往復距離も含めて計算したものである。
2.半田中央印刷株式会社発行の巡拝イラストマップによると寺間一周の全工程だけでは188.2kmとなっている。


2.巡礼グッズ

品名 説明
白衣 死者に着せるいわゆる死装束。
昔の遍路は道中行き倒れたらその白衣のまま埋葬して貰うという覚悟の表れか
背中に「南無大師遍照金剛 同行二人」と書いてある
納経帳 各寺寺でお経をあげ、お札を納めた印として朱印を押して貰う和綴じのノ−ト
注)知多霊場の場合:朱印1回100円、2001年から掛け軸への押印は200円に値上げ
掛け軸 同上
金剛杖 歩き遍路がこの杖を支えに歩く。弘法大師の分身として大切に扱う
菅笠 日除け雨よけ
念珠 お仏前にお参りする時使う
経本 般若心経などのお経が書いてある本
徒歩用地図 寺への道順を書いた地図。ドライブ地図もある


3.巡礼用語

用語 説明
朱印
(札番号印、宝印、寺印)
巡拝した証明印。納経所で押して貰う
同行二人 巡礼道中は弘法大師と二人ずれという意味
納札 お参りするお寺へ日時、住所、氏名、年齢等書いた札を納めること。
昔は木製の札を寺の門等に打ち付けた
札所 上記札を納める所すなわちお寺のこと
**寺を打つ **寺を巡拝、納札&朱印を貰うこと。
昔、木製の札を山門などに打ち付けたことに由来する言葉。
発願 巡礼を始めようと思うこと。又最初の札所を打つこと
結願、満願 八十八カ所全て回って最後の札所を打つこと
接待 一般の人が巡礼に対して金品を無償で与えること。
巡礼は接待を拒んではならず、納札を一枚相手に渡す。


参考文献
1.写真入り巡拝イラストマップ「知多四国巡り」編集、発行:半田中央印刷(株)
2.まんが「知多四国はじめて物語」作画:つづき佳子 監修:知多四国霊場会
3.転機としての四国八十八カ所「さあ、巡礼だ」著者:加賀山耕一 発行所:(株)三五館
4.四国八十八カ所「ガイジン夏遍路」著者:クレイグ.マクラクラン 訳:橋本恵 発行所:(株)小学館
5.「巡礼参拝用語辞典」著者:白木利幸 発行所:朱鷺書店




4.巡礼自転車ツ−リング顛末記



第1回(1番札所−65番札所 但し除く37番札所−39番札所)

**2000.8.16(水)晴れ**

いよいよ今日は出発の日だ。5:30起床、6:30家を出る。早朝の足慣らしの時間は2速でゆっくりコンスタントに漕ぐ。豊明の1番札所曹源寺に8:30に到達し、ここで巡礼グッズ(朱印用の掛け軸、袖無し巡礼白衣、歩き遍路用地、図締めて25000也)を買い揃え、巡礼白衣を羽織り、念珠を持てばにわか遍路の出来上がり。さあこれからが巡礼本番、1番札所を9:04出発。
寺間が比較的短く又寺の目印を探しながらの自転車走行ではスピ−ドに乗れない。要領を得ずもたもたしているので二人ずれのおばさん歩き遍路に1番から3番札所まで行く先々で顔を合わせ、3番札所では「巡礼は最短距離を歩くに限る」とまで言われてしまった。
そんなこんなしながら10番札所の手前で昼飯を食べ、54番札所海潮寺を今日の最後に16:00家着。時間は計画通りだったが、いろんな面で要領を得ない1日目だった。特に途中での道を間違えること数えきれずだ。「歩き遍路」ならおばさん達の言うようにあそこかここかと地図と見比べながら最短道路を探していける。又車なら信号で止まる毎に助手席の地図で確認できる。自転車はそのどちらも出来ず、スピ−ドはそれなりに出ているので目印を見落としやすい。
道探しが精一杯で事前に考えていた小旅行4つの目標(下記、注)参照)は頭からすっ飛んでしまった。寺への道探し、急な坂道を自転車を押して登る、喉の渇きをこらえる等思いもよらない問題点が出てきた。おまけに納経所で朱印を貰いながらお坊さんに有り難い話を聞こうとするも、出てくる人は殆どお寺のおばあさんか奥さんで、挨拶言葉も「今日は、暑いですね、ご苦労様」でとりつくしまもない。それでもなんだかんだと話しかけて寺の由来等聞き出した所もある。明日以降は「一般道路地図」と「歩きル−ト図」の併用は止め「歩きル−ト図」のみを使用ししかも地図を取り出しやすいように工夫してみよう。

注)

今回の目標

その1.年が年だけに回る寺寺で有り難いお話を聞きながらお坊さんと仲良しになる。
その2.この「RIDE&BIKE運動」が盛り上がった時を想定して自転車道路事情を今から調査しておく、特にバラバラ道路行政のあおりを受けたパッチワ−ク道路の段差は年寄りには堪える。今回小旅行の道路はどんなもんでしょう。
その3.「山小屋−自称:別荘」を自分達で造った者として大昔からの日本建築の典型お寺の本堂と山門写真集を残す。
その4.道々で多くの人と出会い、話す。





**2000.8.17(木)晴れ**

二日目のスタ−トは6:50。衣浦大橋経由で阿久比まで行き、13番札所安楽寺から35番札所成願寺まで我が家から比較的近い三河湾側を半島の先端目指して南下する。道中それなりのアップダウンがあり、特に寺の直近のアプロ−チが急坂の所では頭の真上から来る太陽のかんかん照りと35度の外気温が重なって喉の渇きは尋常でない。途中自販機でスポ−ツドリンクを何本飲んでも収まりそうにない。頭は暑さのせいか年のせいかぼ−っとしてくる。次の寺の目印を忘れたり、見落としたりでてんやわんやだ。
途中番外の時志観音の目印が分からず何回も道行く人に聞きまくってやっと地図に書いてある急な坂道と垂直な階段を見つけ、無理矢理登り切ったら、人っ子1人いない別の寺だった。もう一度引き返そうと戻りかけたそのすぐ横に同じような設定の目指す番外時志観音を見つけた。この暑いのに体力の大いなる消費。。。。
おまけにこれを過ぎると山側の寺廻りとなり、アップダウンの激しさは自転車を漕いでみなければ分からない。更におまけにここへ来て28番札所永寿寺の納経所の呼び鈴は何度押しても応答無し。こんな事は今までの寺では無かったことだ。どうしたことかとよくよく見ると、「勝手に朱印を押していって下さい」との張り紙有り。なあんだ手抜きじゃないかとむくれながら自分で押印しすぐ次ぎに向けて走り出した。
途中で道を聞き、曲がりくねってアップダウンの激しい田圃道をほぼ3分の2位来たところで、何時もハンドルにぶら下がっているはずのカメラが無いことに気が付いた。さ−て落としたのか、どこかへ置き忘れたのかと日陰のない田圃道の真ん中で考えたが思い出せない。あれこれ考えた結論は28番札所で「勝手に押印して下さい」の張り紙に頭に来ながら押印し、慌てて立ち去ったあの時だ。カメラだけ置き忘れてきたに違いない。
この年になってさすがに顔や口には出さないが、すぐ頭にくる精神状態は良くないと反省しきりだ。それにしてもここまで来ておいて、今更この坂道をもう一度引き返すのは大変なことだ。又取りに帰ってもカメラがそのまま置いたところに有るかどうかだ????、まして人のいない納経所だ、誰が持ち帰っても不思議はない。行こうか止めようか大いに迷ったが、ここは一番自分のしでかした不始末だ、無くて元々の気持ちで帰って見ることにした。
山坂を越え、道を教えてくれたおじさんに走りながらお礼と忘れ物を取りに行く旨を大声で話しかけてとって返してみると、なんと目の中に納経所台に置かれている黒いカメラケ−スが飛び込んできた。ああ取りに帰って良かった。何時も心乱されることなく冷静でなくちゃあと思うと同時に、「巡礼は御大師さんと同行二人、おかげさまで」とこの時ばかりは柄にもなく素直な気持ちになった。
そんなんこんなで時間も経ってしまったので、今日の最終目標36番札所遍照寺までたどり着けないかも知れない。34番札所で5:20。お寺のおばさんに近くの宿を聞き訪ねたが、お盆明けで今日は休み。2軒目でやっとOKをもらいほっと一安心、部屋だけ予約しまだ回ってない35番札所と散歩途中の中年夫婦に教えてもらった上陸大師の像とにお参りして宿に帰った。納経所の6時終了時刻にかろうじて間に合ったが、目標の36番札所はどうしても無理。1ヶ寺を残して今日は終了とする。もうこうなったら疲れをとる意味でも、一刻も早く「風呂、飯、寝る」をやらなければ。さすがに夕食の肴とビ−ルは格別旨かった。




**2000.8.18(金)晴れ一時にわか雨**

枕が変わったせいか熟睡とまでいかなかった。6:50起床、7:25宿発。昨日廻り残した36番札所遍照寺からスタ−トし今日は伊勢湾側を海岸線に沿って一路北上、寺間が長いところもあり快調に進む。海岸道路は海水浴客の車を団扇を振って呼び込むお兄さんやおばさんで賑やかだ。やっぱり客引きするとしないでは客の入りは違うのだろう。それらを横目で見ながら走る。日照りで頭は熱いが、全身で浜風を受けながら走るのは気持ちが良い。46,47番札所を過ぎる頃からどこか遠いところで雷の音を聞いたような気がする。
更に進んで48番札所良参寺への目印の火の見櫓を見落としたのか行き過ぎたようだ。徐行しながらきょろきょろしていると呼び込みのバイトの兄ちゃんと目があった。ここで良参寺の場所を聞いたら、すぐそこの細い路地を入れと教えてくれた。若い兄ちゃんにしては対応も良く寺の在処を知っているなんざあ感心なことだ。言われるままに路地に入り暫くいくと山道の登りにさしかかる。道はさして狭くないが落ち葉を踏んだ形跡が無い。ちょっと変だなと思ったが自信を持って教えてくれた道だ、自転車を押し上げながらどんどん登っていくと道の両側から木立が覆い被さってきた。おまけに空模様も怪しくなってきて周りが薄暗く感じられる程だ。どうやら道を間違えたようだ。
若い衆が間違えて教えてくれたのか。。。。あれこれ考えているうちに、自転車の荷台に縛り付けたリュックの中に寺の写真入りのガイドブックが入れてあるのを思い出した。こんな時のために取り出し易く入れてある。引っぱり出して見てみると、なんとこの寺の前は舗装して有るではないか、こりゃあ間違えた。
慌てて山を下りおりてきたらお百姓さんに出会ったので、またまた寺の場所を聞いてみたら、その寺ならこの道をもう一回曲がれとのこと。若い衆は路地を入れとは言ったが曲がれとは言わなかったではないかと恨めしげに思ったが、やっぱり自分自身の注意散漫、方向音痴の祟りじゃああ。。。
やっとの想いで寺の山門に自転車を立てかけ、門の横木に腰を下ろしたその瞬間目の前のリュックの口が開いているのに気がついた。はっとしてよくよく見ると各種カ−ドを入れたウエストポ−チがそこに無い。折しも暗かった空から急に土砂降りの雨が降ってきた。一瞬頭が真っ白になり、何処へ落としたのか、カ−ド取り消しをすぐ銀行へ連絡しようか、いや警察が先かなと山門の下で雨宿りしながら慌てに慌てた。土砂降りの雨の中落ち着け落ち着けと自分に言い聞かせ、今朝からの行動を思い返してみたが、考えが纏まらない。そのうち山の中腹でガイドブックを取り出したこと、道を間違えたのは若い衆のせいだと考えたり、又そんなことを思う自分を反省したりと、いらいらしたことを思い出した。自分自身に腹を立てながら山道をノ−ブレ−キで駆け下りたときに、開いたままのリュックの口からこぼれ落ちたのだろうか。探しに行こうにも雨は土砂降りがつずいている。又自転車と荷物をこのまま置いていったら無くなってしまうかも知れない。あれこれ考えたがここは一番早いが肝心、意を決して土砂降りの雨の中へ飛び出した。歩いて山道をもう一度探してみるしかない。小さな傘を差してはいるが体中びしょぬれになりながら登って行くと有った有った、先ほど駆け下りてきた山道の真ん中にびしょぬれのポ−チが落ちていた。
昨日のカメラといい、今日のポ−チといい見つかったのは本当にラッキ−としか言いようがない。人はイレギュラ−な事が起こる度に、特にそれが腹立たしい事の場合、気持ちがそちらの方に振り向き不具合が起こる。62才にしてこの状態では何時になったら悟りは開けるのだろう。雨の止むのを待ちながら、なにはともあれ感謝。
雨は小止みになってきた。ここを過ぎると山側の寺回りとなる。さあ遅れ挽回再出発だ。
この巡礼を始めるに当たって「一寸の小旅行にも五分の目標」とばかりに4つの目標を立てたが、一日目走り出して暑さと喉の渇きと寺の目印探しに全神経をすり減らし、おまけにアクシデントの連続で目標調査どころではないことに気が付いた。しかし当初立てた目標とは別物だが色々掴んだり感じたりするところも有った。その一つ二つを書いてみると以下のようになる。
苦しい登りの坂道は先を見ることなく地面を見ながら前傾姿勢でひたすらペタルを踏みつずける事だ。途中色気を出して、今どの位まで来たかと顔を上げ上体を起こすとたちまち失速してしまう。もう大丈夫と言う所まで漕ぎつずけることだ。そうすると意外に長い坂道もいつの間にか登り切っているものだ。単純な事だが体で知るといかにも納得できる。
登りが有れば必ず下りがある。この下りの爽快さといったらない。頭、顔、体一杯に風を受け、汗の気化潜熱で体が冷やされるのを直に感じながら極楽を見る。自転車への病みつき、はまり込みの原因はこの辺の所にあるのかも知れない。自転車初心者としての感想だ。
こうして地獄と極楽を交互に感じながら走っていると、今の自分の健康と女房、子供達全ての家人が健康でいてくれる事をしみじみ幸せに思う。そうでないと今頃こうして気ままに1人で走っておれまい。感謝せねば。こういう想いは外に出て一生懸命体を動かしていると、ふっと頭の中に浮かんで来るようだ。
道路事情調査に付いては残念ながら詳細なデ−タが採れる状態ではなかったが、パッチワ−ク道路の段差をいくつかのパタ−ンに分類することが出来そうな事を見つけた。そんなに多くのパタ−ンが有るわけではない。道路工事屋さんもお役人さんもちょっとは真剣に考えて貰いたい。自動車の走るところに比べ自転車、歩行者の通る道路の何と酷いことか。今回この件での纏めはとてもできる状態ではなかったが、自転車旅行に慣れて来たら何時か必ずまとめ上げたい。年寄りの自転車、まして車椅子の通行に少しでも役立つように。目標通り65番札所を打ち終わって一路碧南へ向かってひた走り、常滑から1時間半で家にたどり着いた。家着18:00。今日も暑い1日だった。




第2回(66番札所−1番札所)  2000.9.11第2回目更新

**2000.8.26(土)晴れ**

今日は知多四国88カ所巡礼第2ステップ(通算4日目)の日だ。計算上100キロ走行となりそうだ。今までの最高走行距離は1日80kmだったから今回は未体験ゾ−ンとなる。5時起き6時スタ−トとする。予定は66番札所中の坊寺から88番札所円通寺まで行って、振り出しの1番札所曹源寺で無事1周出来たことへのお礼参りをすることだ。
第2ステップのこのコ−スは寺の建て込んだ所と寺間の距離が長い所のバランスが良く、走りやすいと見た。実際に走ってみてもその通りで岡田地区の73番から77番札所の5ヶ寺は1ヶ所に固まっており、山間の田圃の中に全寺が一望できる。そこだけは遠い昔、子供の頃見たような風景が残っていた。こういう田舎に5ヶ寺が固まってそのまま存在し続けることに驚くと共に、寺の維持はどうなって居るのか人ごとながら気になった。朱印は一気に増えた。
87番長寿寺を打ち終わって、これで島の4ヶ寺を除けば半島にある札所は全て廻ったことになる。その無事完走出来たことに感謝して、計画通りスタ−トの1番札所曹源寺にお礼参りすることにした。長寿寺を出て23号線沿いに8キロ程南下するコ−スとなる。ところが23号線は車でよく走っていて知り尽くして居るつもりだったが、この側道のアップダウンの酷さまでは気がつかなかった。途中「右折れ刈谷まで7キロ」の標識を見たときには一瞬1番札所へのお礼参りを止めてこのままハンドルを右に切ってしまおうかと考えたがかろうじてこらえた。山坂は先回までのツ−リングで体験的に会得した前傾姿勢でひたすら漕ぎ続けるあのやり方で乗り切った。曹源寺には16:20に到着した。
この暑い最中ではあったが島巡り4ヶ寺を残して半島一周巡礼をやり遂げることが出来たことに感謝し、素直な気持ちでお参りした。家には18:15着。シャワ−を浴びてビ−ルを飲んだら一日中の喉の渇きが一気に解消したような気がした。




第3回(37番−39番)

**2000.9.8(金)晴れ時々曇り**

テレビの天気予報で明日は雨と出ていたので、9/8(金)の計画最終ステップ、島の4ヶ寺巡礼は日延べと決めて寝た。ところが今朝、目を覚まし窓を開けると予報に反して晴れている。これなら行けるとばかりに飛び起き大慌てで朝飯をかき込んだ。荷物を纏めて自転車に跨ったのが6:56。昨日調べておいた河和港発日間賀行きの高速船の始発は8:10だ。日間賀、篠島と二つの島を廻るとなると、やはり始発に乗るのが安全だ。これに間に合わせるために河和まで約22・3キロの道のりだから、平均走行スピ−ドもそれに合わせねばなるまい。えらいことになった。俺の足と心臓でもつだろうか。
都合が悪くなるとお大師様を担ぎ出す。巡礼はお大師様と二人ずれだ、お大師様が何とかしてくれるだろうとばかりに信号のない背小道を一目散に駆け抜けた。衣浦海底トンネルをくぐり抜け、半田、武豊、布土と信号のある交差点に来る度に残り距離と時計を睨みながらの全力疾走だ。河和港に近ずくと海の見える海岸道路となる。暫く走ると遠くの方に点のように見えていた船がみるみるうちに大きくなり、それが乗り合い高速船だと分かったときにはお大師様にも見放されたか。。。。。。、それでも諦めきれずに走り抜き間一髪滑り込みセ−フ。自転車を街路樹に縛り付けておいて高速船に飛び乗った。やはりお大師様と同行二人だったんだ。
船の中では乗客が少ないことをいいことに、破裂しそうな心臓を何とか静めるために恥じも外見もなく乗客シ−トに長々と倒れ込んだ。人間の体は良くできていて年を取っていても時間を掛けて休めばそれなりに元どうりになる。日間賀に着く頃には心臓も静かになりかけていた。ただ喉の渇きは何かを飲むまでは癒されない。船には自販機がない。港に着いてまずすぐ近くの37番札所大光院に巡拝し、海水浴客の居なくなった浜の売店に駆け込んだ。酸っぱさにせき込みながら一気に心太をかき込んだら喉の渇きと胸の動悸が同時に無くなった。店には小太りのおばさんがいて、奥から冷たい麦茶を持ってきてくれた。今年の夏の暑かった事など小1時間程話し、次の船で篠島に向かった。
篠島で3ヶ寺を廻れば今回の巡礼は終了する。広い海岸道路は別にして島の生活道路は極端に狭く、くねくねと曲がりくねっていて分かりにくい。おまけに急な登り坂だ。家と家の間隔も建て込んでいて迷路のようだ。この分だと人間関係も自然と密にならざるを得ないのだろう。何回も道を尋ねながら登っていくと路地の角角でおばあさん達が座り込んで話し込んで居るのに出っくわす。角を曲がればまたまたおばあさんが枯れ木のように静かに黙然と入り口の石段に腰を下ろしていたりする。路地の通り風に吹かれながら眠って居るかと思ったが横を通り過ぎる時小さく挨拶したら、ゆっくりと応答があった。他人事ながらこんなに静かで穏やかな晩年が好ましかった。
3ヶ寺の最後の寺の納経所の窓口に今回廻った中で最高齢ではないかと思われるおばあさんが現れた。ゆっくりとした手つきで朱印を押しながら「満願成就、ご苦労様でした。この掛け軸は大事にして下さいよ。」と言われた時には柄にもなく神妙な声で「有り難うございます。大事にします。」と答えていた。掛け軸に押印された99ヶ寺の朱印を見ながら、これで知多四国の全ての札所を廻り終わったんだなあという実感だけは明確に湧いてきた。
帰りは時間に余裕があったのでゆっくり時間を掛けて走った15:00家着。これにて全3回に分けて計画実践した知多四国88ヶ所巡礼自転車ツ−リングは全て終了した。当初目標の1).自分の年を考えてお坊さんと仲良しになる2).自転車道路事情調査3).寺の建物調査、、、、4).多くの人と話をする、、、等は殆ど実行に移すべくも無く、地図を見る、人に道を聞いて探す等スタンプラリ−のようになってしまった。それでもその土地土地の人や風景に接し、非日常を体験できたことは永年会社生活でため込んで来た垢落とし、心身のリフレッシュにはなったようだ。自分の健康にも自信が出てきた。足も太くなった。自転車にものめり込みそうな予感がする。
いつかの朝日夕刊の知多88ヶ所お遍路さんの紹介記事で「巡礼の効能は、信仰、健康、観光の三コウと言われますが云々、、、」と書いてあるのを見たことがある。今回の場合は「健康、観光」が先に来て残念ながら「信仰」は最後になってしまったが、それでも一つの計画をやり終え、漠然とした健康に対する不安からは解放された。おそるおそる立てた計画ではあったが今はそれをやり遂げたと言う達成感、充実感は残った。これに力を得て近いうちに本四国88ヶ所巡礼自転車ツ−リングも(全工程約1400キロ)計画してみよう。四国巡礼を経験された方、四国についてよくご存知の方、その他自転車ツ−リングの注意事項等あったら教えて下さい。




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