*定年(諦念)おじさんの自転車走行記録*
** 地球1周分・4万kmへの道のり **
定年退職から10年経ったおじさんは、自転車で地球一周分(4万キロ)を走り終えました。その間の走行記録や、道中で起こった出来事を、日々ノートにメモったり、ホームページ
に載せたり、ブログで更新したりしてきました。そんな中から、「暑さ、寒さ、爽やかさ、楽しさ、旅、疲れ、痛、病、慣れ、転倒、故障、寿命、完走」等の泣き笑いを抜き出して、定年
おじさんの自転車生活ダイジェスト版にまとめてみました。又、走行距離数も寄せ集めてグラフにしました。
このまとめが、自身の今後の走りの参考になればと思いつつ・・。そして又、これから自転車を始めようとする定年おじさん・おばさん達にも、少しなりとも参考になれば幸いと思いつつ・・。
尚、
走行距離累計グラフはこちらをご覧ください。
矢作川河口風景(中電火力発電所及び矢作川大橋)
目 次
第1章 「 恐る恐る、そして直向きに乗るの時代('00.7-'02.3)」 <手書きメモより抜粋> |
1-1 | 2000.7.8 | 定年祝はクロスバイク |
1-2 | 2000.7.13 | 慣らし運転でバテバテ |
1-3 | 2000.9.8 | 知多四国八十八ヶ所自転車遍路結願 |
1-4 | 2001.8.5 | 一年経っても足腰が痛い |
1-5 | 2001.10.3 | 琵琶湖一周・150kmサイクリング計画 |
1-6 | 2001.11.12 | 寒さの試練 |
1-7 | 2002.1.28 | 記録は励み |
1-8 | 2002.2.25 | 本四国八十八ヶ所自転車遍路準備 |
1-9 | 2002.3.8 | 四国八十八ヶ所自転車遍路初日 |
1-10 | 2002.3.29 | 高野山お礼参り |
第2章 「 調子にノリノリで乗るの時代('02.4-'06.7)」 <HP掲載日記より抜粋> |
2-1 | 2004.12.4 | 総走行距離8000km |
2-2 | 2005.7.3 | 総走行距離9000km |
2-3 | 2005.10.26 | 久し振りの走り |
2-4 | 2005.12.17 | 自転車走行10000km |
2-5 | 2006.1.31 | 1月の走行距離 |
2-6 | 2006.2.6 | 距離への慣れ |
2-7 | 2006.7.16 | 早朝自転車走 |
2-8 | 2006.7.29 | 月間600km |
2-9 | 2006.10.30 | 自転車走行15000km |
第3章 「 地球一周分・4万キロを乗りきるの時代('06.8-'10.12)」 <ブログより抜粋> |
3-1 | 2007.6.2 | 自転車大転倒 |
3-2 | 2007.8.2 | 自転車走行20000km |
3-3 | 2008.6.18 | ボチボチ自転車走を |
3-4 | 2008.9.14 | 5勤1休 |
3-5 | 2009.10.7 | 3並びの数字 |
3-6 | 2010.9.15 | 自転車も身体もガタガタ |
3-7 | 2010.9.17 | 自転車の寿命を宣告されたが |
3-8 | 2010.11.23 | 晩秋、残月 |
3-9 | 2010.12.31 | 地球1周分・4万キロ完走 |
3-10 | 2011.1.1 | あとがき、そして、再出発 |
第1章 「 恐る恐る、そして直向きに乗るの時代('00.7-'02.3)」
<手書きメモより抜粋>
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2000年7月8日(土)<定年祝はクロスバイク>
今日は、息子達が、おじさんの定年祝にと注文しておいてくれた自転車の引き取り日だ。家に来た長男の車で岡崎の自転車屋さんまで送ってもらい、彼は先に家へ帰って行った。おじさんは、あれこれ付属品
を付けてもい、手入れの仕方や、乗り方の説明を受けた。さて、いよいよNew自転車に跨って一路我が家へ向けてGO!・・。途中、コンビニで一休み、家に着いたのは1時間45分後だった。こんなに走ったの
は子供の頃以来だ。何だか尻が痛い。ママチャリと違ってサドルが異常に小さい。その上にどっかり座ってペダルを漕いだのが良くなかったのかもしれない。「自転車は、お尻、腕、足の3点支持で」と、どこか
で読んだような気がする。夕方、長男と外へご飯を食べに行った。1杯目のビールの美味かったこと・・・。
定年祝のクロスバイク
2000年7月13日(木)<慣らし運転でバテバテ>
朝から体中が痛い。昨日、その前と、自転車で前浜海岸通りを1時間ばかり走ったためか。それでも、少しずつ慣らさないとと思い、今日も45分間走った。
矢作川河口に鵜が集合
2000年9月8日(金)<知多四国八十八ヶ所自転車遍路結願>
知多遍路の最終寺・88ヶ所目の納経所で御朱印を貰った。これにて知多半島巡礼自転車ツ−リング360kmは全て終了した。道中、色々あったが、それでもその土地の人々や風景に
接し、非日常を体験出来たことは、永年会社生活で貯め込んで来た垢を落とし、心身のリフレッシュにはなったようだ。
自転車にものめり込みそうな予感がする。。「何時か、本四国88ヶ所自転車遍路(1400キロ)が出来たら良いなぁ」の想いが、ぼんやりとではあるが視界に入って来たような気がする。
全88ヶ所の御朱印を表装して掛け軸に
注) 知多88ヶ所遍路全文はこちら
でご覧ください
2001年8月5日(日)<1年経っても足腰が痛い>
自転車で15km走るのは、今日で3日連続となる。朝、起きる時に、足から肩から体中が痛い。これを続けると身体はどうなってしまうのだろう。慣れるのか、それとも益々痛くなるのか、暫くやって
みるしかない。しかし、こんなことで四国遍路1400kmは走破できるのだろうか。ちょっと心配。
2001年10月3日(水)琵琶湖一周150キロサイクリング計画
ある日何気なくテレビを観ていると、若いキャスタ−が大きな湖の縁を自転車で気持ち良さそうに走っていた。そこは琵琶湖に浮かぶ竹生島付近の琵琶湖1周サイクリングロ−ドらしかった。直ぐに、
おじさんのサイクリングの虫が騒ぎ出した。地図で調べると、湖北はトンネルが続き、かなりの山越えのようだ。自転車で大丈夫だろうか。
それから程なくして、日経新聞の記者が、サイクリング暦 40年の宮尾さんという女性と一緒に2日間で琵琶湖1周を廻り終えた記事を見た。気に掛かっていた湖北を走る件は次のように書いてあった。
(「」内引用)。「標高422mの賎ガ岳は1583年に豊臣秀吉の天下取りを決定つけた合戦の有った地。起伏の激しい
山道をこぐ。しかし疲労した足はペタルを踏み下ろせない。もうだめかと思いつつ、宮尾さんの指示通り、ただひたすら車輪だけ見つめこぎ続ける。---」と続いていた。きつい山道ではあるが自転車での
通行は可能なようだ。
そうと分ればやるしかない。早速宿の手配やコ−スの設定を進めだした。お母さんには、来年実施予定の四国88ヶ所自転車巡礼のトレ−ニングだ、とかなんとか説明した。が、
突然のこと故、彼女は驚き、
こうのたまった。「トレーニングなら近くの海岸道路を100往復したらどうですか」と。これを馬耳東風と聞き流した。
竹生島付近の湖上の樹木
注) 琵琶湖一周150キロ自転車ツーリングの全文はこちら
でご覧ください
2001年11月12日(月)<寒さの試練>
今朝も自転車に乗った。段々寒くなるが、ここで引き下がると一冬ダメになってしまう。今が我慢のしどころだ。
枯葉を落した名木2号・桜並木
2002年1月28日(月)<記録は励み>
寒さがきつい日だが自転車に乗った。真面目に走行記録をつけるようになってから、何となく休むということがなくなった。やはり記録は励みか。
寒い朝は日の出が待ち遠しい
2002年2月25日(月)<四国八十八か所自転車遍路準備>
絵 安城在住 加藤博氏作品
今月19日から写経を始めて、今日、2月25日で50枚目を書き終わりました。目標の88枚全部書き終わる迄には、まだまだ時間が掛かりそうです。四国遍路出発までに間に合うかが心配になってきました。
おじさんが、定年と同時に自転車を始めて、もうじき2年が経とうとしています。この間の自転車走行距離は丁度3000kmになりました。病後の健康回復と、第2の人生への生活スタイル変更を考えての
ことでしたが、今では自転車がすっかり生活の中へ溶け込んでいます。おじさんは自転車を始めた当初から、秘かな想いとして(とても出来るとは思いませんでしたが、、、)四国八十八ヶ所を自転車で
廻ってみたいという夢を持っていました。体力と相談しながら少しづつ走行距離を伸ばし、2001.11に琵琶湖1周・150kmをやり終えた時、初めて自転車遍路も夢ではないような気がしてきました。
それからというもの、遍路装備等少しづつ準備を始め出したのです。
最終的に家族の状況や自分の健康状況を考えて、今年の3月8日出発と決めました。ところが、へんろみち保存協会発行のガイドブックを取り寄せてみて、おじさんは大慌て。
お遍路は「信仰、健康、観光」の「三こう」とよく言われますが、おじさんがやってきた準備は、三つ目の観光のことばかりのようでした。件のガイドブックに寄れば、霊場での作法として
「1.合掌礼拝2.読経 3.納経云々、本来写経した般若心経を、、、」等々遍路本来のやるべきことが整然と書いてあります。信仰心の薄いおじさんは、
はたと困ってしまいました。浄土真宗のお経なら、子供の頃お寺で習ったので今でも出来るが、般若心経は全くだめ。こうなったら「写経納め」で勘弁してもらおうと、早速写経を始めることにしました。
とはいっても、初めての経験です。2月19日、最初の1枚書き終わって、驚きました。実に30分間続けても、まだ1枚終わらないのです。おまけに、筆ペンを持つ手に変に力が入り、肩腰がやけに痛い。
準備段階から厳しい修行が始まってしまいました。そして今日(2月25日)、50枚目の写経がやっと終わって、筆ペン4本がダメになりました。あと38枚、何時終わるのでしょうか、、、。
こうして出発が近付いて来て、やっと本当の意味でのお遍路準備が始まったのです。
**写経第1号**肩に力の入った緊張の1枚
02.2.19撮影
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2002年3月8日(金)<四国八十八か所自転車遍路初日>
「快速へんろ」サイトから取り寄せていた「自転車遍路の攻略本」や、遍路関連の本、ネット検索等を総動員して、全22日間・1400kmの詳細な走行・参拝・宿泊計画を作りました。
まるで現役時代の出張計画です。
早速1番霊山寺近くの宅急便屋さんに、自転車の営業所留め置きが出来るかを確認しました。夜行特急バスの切符も手配しました。徐々にではあるが順調に準備は進み始め、
次に宿の予約に取り掛かったところで、どうも様子が違うぞと初めて気が付きました。
初日の宿こそ予約を受け付けてくれたものの、2日目以降は何とも要領の得ない返事で、予約を受け付けてくれません。そのうち、ある民宿のおばあちゃんの1言で全てが分ったのです。
「お四国参りは雨の日もあるし、何処かで足も痛くなるでしょう。その時、その時のお遍路さんの状況を考えて明日のお宿を探しなさい」と。これだ!生身の人間が自然と向き合って自分の足だけを頼りに遍路を
続けると言うことは、新幹線の時刻表を見ての出張とはわけが違う。「その日その時の状況に合わせて、現地で計画を見直しながらじっくりと回り切りなさい。
四国にはそれを受け入れる土壌がありますよ。」ということのようでした。
計画通りに事を進める事のみを価値とする現役時代のやり方とどこかが違う。四国に足を踏み入れる前から、遍路本で読んだ「お四国は異次元の世界」に迷い込んでしまいました。
こうなったら今迄の日常を脱ぎ捨てて、裸でお四国の世界を廻ってみよう。脱ぎ捨てた分だけ感度が増し、有るがままを感じることが出来るかもしれません。そう心に決めたおじさんは、
予定通り3月8日のちょっと寒い夜、「春だ、菜の花、遍路に出よう」と明るく歌いながら徳島行きの夜行バスに乗り込みました。
2002年3月29日(金)<高野山お礼参り>
昨日、高野山の奥の院にお参りし、最後の納経を済ませました。そして、今朝、宿坊の朝のお勤めに参加し、感謝のお参りをしました。これで、おじさんの22日間にわたる自転車遍路は、全て終わりました。
道中、大きな自然に包まれ、多くの人に会い、話しました。そして、沢山の人の情けを貰いました。物理的にも、19日間で1400kmの距離を自転車で移動しました。何かが変りました。
目で見える変化について言えば、おじさんは帰宅後同年輩のメル友にこう書きました。
「○○様、仰るように四国は坂道が多く、帰ってきたら、体重が5kg、ウエストが5cm減っていました。足は競輪選手に近づきました(これは冗談)。体調はすこぶる良好で、
今では病後意識もなくなりました。、、、、、」と。
このように外見上は確かに変りました。
そして、気持ちの有り様も変ったような気がします。健康に対する「自信」と言うか、病気に対する「潔さ」みたいなものが出てきました。何時までも「病後意識」を持っていてもしようがありません。
現にこうして、四国の山坂 1400Kmを走破出来たではないか。病後だからと気を使い、消極的な生活を送るのはやめよう。罹ってしまった病気を悔やみ、何時罹るか分らない病気にシュリンクしているより、
今日一日が健康であることに感謝しよう。誰でも何時かは病気になります。病気になるまでを元気に過ごそう、と思うようになりました。
このように、自分自身に関わる変化は自覚できますが、その上で、他人との関わりの中で自分がどのように変ったのか、こちらはこれからの大きな課題です。すぐには結論が出ません。
沢山のものを見、多くの人にお世話になり、教えられました。今は、それらがおじさんの身体の中に一杯に詰まった状態で、溢れ出しそうです。時間を掛けて発酵させようと思います。
そしておじさんが、何時か何処かへ、貰ったもの以上のものをお返し出来ることを願っています。
家に帰って仏壇に向かい、感謝の報告をしました。留守を守ったお母さんにも素直に感謝です。
高野山 根本大塔
注) 四国八十八か所自転車遍路の全文は
こちら
でご覧ください
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第2章 「 調子にノリノリで乗るの時代('02.4-'06.7)」
<HP掲載日記より抜粋>
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2004年12月4日(土)曇り後雨<総走行距離:8000km>
朝からどんよりと曇り、風は全く無い。午後になると降り出すかもしれないので、朝のうちに自転車で一走りした。その走行実績を記録していて、「0:8001.5」と書いた時気
が付いた。自転車に乗り出してからの総走行距離が8000kmをオーバーしたのだ。思えば2000/6、定年退職祝いに息子達夫婦が贈ってくれた自転車で走り出して以来、4年以上
が過ぎた。その間、自分のHPの「小さな旅行記(自転車ツーリング)」や「四国八十八箇所自転車遍路」等に書いたように、その時々で150kmから1400kmまでフウフウ言いながらも楽しく
走った。それら遠出の実績と、日課の地回り(A.B.Cコース走行)を合計しての数字だ。ここまで走れたことに感謝。この数字の積み上げが定年後の健康維持の一助になって
いるのかも知れない。さて、何時の頃からか心の中に芽生えだした「地球一周分を走破」出来るのは何十年先になるだろう。
走行データD:10.77km、T:42分07秒、A:15.3km/h、M:33.4km/h、O:8001.5km
2005年7月3日(日)曇り後雨<総走行距離:9000km>
天気予報では雨となっていたが、辛うじて雨粒は落ちていない。3日前、急に亡くなった友人の通夜、葬儀へと続けて出席し、気分的にも落ち込
んでいた。そんなもやもやを吹っ切りたくて、朝食後、自転車用パンツに履き替え、家を飛び出した。雨が降ってくれば濡れればいいと思いながら・・・。
12km走り終わって、記録計の総走行距離が9000kmを超えているのに気が付いた。これは3年前、四国自転車遍路で走った1400kmの6倍強だ。遍路6回分
した事になるのかと、チョッと感慨深い。しかし、先日掲示板に書き込みしてくれたラスカル様は、1日で160kmを走るホノルル自転車走に参加するとのこと。
こういう凄い人達がいるのも事実だ。5年前、自転車を始めたおじさんは、ぼんやりと「地球1周分を自転車で走れたらな」と思ったものだ。ここまでの走行実績からして、それは夢の
又夢だが、捨てずに取っておこう。コツコツと走り続け、友人のように突然亡くなった時、記録計はさて何kmを指しているのだろう。
走行データ D:12.53 T:0.46.50 A:16.0 M:21.1 O:9007.8
堤防には月見草がよく似合う
2005年10月26日(水)曇り<久し振りの走り>
祭が終わって、又、元通りの生活が動き出した。今日は、何時も通り朝のNHK連続ドラマを見て、メールチェック、HP掲示板チェックを済ませて、
日課の自転車走へとスムースに事が運んだ。久し振りに海岸道路を1時間ばかり走った。暫く秋祭の準備に日にちを割かれている間に、季節が大きく進ん
でいることに気が付いた。河口の浅瀬には沢山の渡り鳥が羽根を休めていた。もう少し寒くなると風の無い日は霧が立ち込めそうな雰囲気が漂っている。
走り終わった距離計は9700kmを越していた。今月は何やかやで時間を取られ、殆ど走っていなかったが、残11・12月の2ヶ月で300km
走れるだろうか。次に来る神社の大仕事は、年末・年始の初詣準備だから、その間、健康で普通に走れれば何とかならない距離ではない。年内に
10000kmになれば嬉しい。
走行データ D:18.43 T:1.08.32 A:16.1 M:28.4 O:9703.0
2005年12月17日(土)晴れ<自転車走行10000km>
諸事、雑事が立て込んでいて、暫く日課の自転車を休んでいたが、今日午後から少し時間が空いたのを利用して、近場の河川沿いコースを走った。
風が冷たかったが、完全防寒だったので、体は直ぐに温まった。10k走ったら、定年後自転車を始めてからのトータル走行距離が10000kmに
到達した。去年の年末に8000kmになったと1人で騒いでいたので、この1年間で2000km走った事になる。地球一周分・40000kmを走って
みたいと思っているが、この調子で行くと、あの世に行ってからも走り続けなければ達成できそうも無い。何とかしなければ。この2000kは、家
の周りだけを走ったもので、これからは少しずつ、遠出のツーリングを入れて距離を稼ぐとしよう。来年からは「おじさんも荒野を目指す」と
するか。この1万kmという距離に取り立てて意味は無いが、今夜おじさんは、何となく1人ビールで乾杯した。
走行データ D:11.49 T:0.48.26 A:14.2 M:20.8 O:10008
枯れ葦原が広がる師走の矢作川河口
2006年1月31日(火)雨<1月の走行距離>
昨日は、雨の合間を縫って21km走ったが、今日は1日中雨で、結局走ることが出来なかった。従って今月1ヶ月間の走行距離は、昨日までの数字
「378km」ということになる。この数字を改めて見てみると、かなり大きい。記録を捲ってみた。去年は1月「233km」走ったのが最長だった
ので、その意味では今月はバカに張り切ったものだ。その理由は只一つ。年末から年始に掛けて、「死ぬまでに地球一周分・40000km走るぞ!」と
皆に初めて言いふらしたからだ。家人にも周りの人にも「あっ、そう」と聞き流されたが、あれ以降、おじさんにとっては「拘る数字」になってしまった。リタ
イア後は、数字から開放されて、風の吹くままに生きてきたつもりだが、こと自転車に関しては別のようだ。意味がない数字でも面白いものになって来
た。そういえば、走行メーターが壊れた時も、即、走るのを止めて、修理に出したのを憶えている。意味のない数字だから面白いのかもしれない。
2006年2月6日(月)曇り<距離への慣れ>
冬の曇り日は芯から寒い。完全防寒スタイルで自転車に跨ったが、空一面に低く垂れ込めた雲を見ると、走る意欲も萎えてくる。それでも習慣で
走り始めると段々調子が出て来て、やっぱり今日も矢作川堤防コースに出てしまった。幸いなことに、今日は寒さはきついが風が無い。こんな日は、
寒くても川原に犬を連れたおじさんおばさんが目立つ。人間はフード付きのコートを着て背を丸くして歩いているが、犬はと言えば、色とりどりの犬着を
着せられ、寒さ何するものぞと走り回っている。遠望が利かないため、そんな近場の風景を見ながら走っていると、いつの間にかメーターが15kmを
指していた。家を出る時は何時も「今日は5k位で引き上げようか・・・」と弱気で走り始めるが、上がってみると10k以上になっている。
距離への慣れが出来たのか、腰の筋肉痛も和らいだ。このまま春を迎えると、一冬風を引かずに過ごした事になるのだが。
走行データ D:15.62 T:0.57.47 A:16.2 M:35.3 O:10511
冷たい河口を埋め尽くした黒い軍団の朝食風景
2006年7月16日(日)曇り<早朝自転車走>
昨日、5時半に起こされ、朝飯を付き合わされた。オバサマ連の温泉旅行の集合場所までアッシー君をやらされたのだ。「旅行に出掛けるなら、
もっと静にスマートに出かけろよ」とおじさんはブツブツ言いながら家に帰った。が、今更寝られる筈もない。そこでヤケになって「早朝自転車走」に
出掛けて見た。これが見事に大当たりで、日中カンカン照りの中走るより、格段に涼しくて空気も美味い。海岸通りの松並木も道路に長い影を作り、
ヒンヤリする。これに味をしめて、今朝も一人で早起きし、昨日と同じコースを走ってみた。う〜ん気持ちがいい。朝凪(こんな現象有るか?)なのか
風も弱く、アスファルトからの輻射熱も無い。何より車も人も極端に少ない。「夏は早朝自転車走に限る」のかもしれない。暫くは6時台に走って
みよう。昨日はお母さんにブツブツ言っていたが、モノは考えようで、「早起きは三文の徳」を体感出来た事で善しとするか。
走行データ D:35.14 T:1.56.56 A:18.0 M:35.8 O:12466
2006年7月29日(土)晴れ<月間600km>
今日、今月の総走行距離が600kmを越えた。これは遠出をしない場合の月間新記録だ。ひょんな事が発端で始めた早朝自転車走だが、日中と違って
早朝は家事雑事で時間を取られることがなく、計画時間だけ走ることが出来るのだ。従来の走りだと、おじさん自身の公私事や、お母さんのアッシー君
等思っても見ないことで時間が取られ、月200kmがいいところだった。今年の初め、何故か「地球一周分(4万km)を走るぞ」と宣言してしまったおじ
さんは、残り3万kmは15年掛かるぞと、気の遠くなる思いをしていた。ところが近頃の記録通り続けるなら、年間5000kmは固いかも
知れない。そうなると皮算用だが、6年で3万km走ることになる。ということは75歳で地球一周分完走となる。そのためには健康管理は勿論、
早寝早起きを定着させなければ。夜鷹のおじさんには試練!。因みに年初からの総走行距離は2600km。良いペース。
走行データ D:31.33 T:1.36.14 A:19.5 M:36.2 O:12738
暑い日もヒマワリ畑を横に見て走る
2006/10/30<自転車走行:15000km>
今朝、自転車走行記録をメモ帳に書き込みながら、独りでに笑いが込み上げてきた。「総走行距離:15000km」と書き、ニヤリ。ニヤケタ顔を誰かに見られなかった
かと、慌てて周りを見回してしまった。実はこの数字、今年1年間で5000km走ったことを表している。昨年末10000kmに到達した時「毎年、年間2000km走り、地球1周分・
40000kmの残30000kmを、今から15年掛けて走ろう」と何気なく考えたのだった。それが今年の夏場、ひょんな事から早朝走るようになり、加えて、HP
掲示板に書き込みして下さった、ラスカルさんの「ハワイ100マイル自転車走」に刺激を受けてしまったのだ。つい毎日の走行に力が入り、年初の
2000kmの目標を大幅に上回る数字となった。お陰で、病後の体調も元に戻って来たような気がする。矢張り、特段意味が無くても目標を持つことはい
いことか・・・。一人ビールで乾杯!
本日の自転車走行データ D:30.77 T:1.31.27 A:20.2 M:38.1 O:15005
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2007/6/2<自転車大転倒>
今朝はピーカン天気。おまけに全く風が無い。こうなると、少し気合を入れて走りましょうと、タイヤの空気を上限迄入れて、矢作川コースへ飛び出した。昨夜の雨の水溜りを避けながら
快調に飛ばし、途中から矢作川河川敷のアンツーカーコースへ入った。そこで更にスピードを上げたまではよかったが、又々、水溜り。スピードを落とそうとブレーキに手を掛けたのがいけなかった。
雨が運んだ泥んこの層の上に、2本の轍を描いて横倒し「つる〜ん」。左頬骨、左肩、左膝の3点支持で可なりの距離、路上を滑った。気が付いたら、立ち上がり、周りをキョロキョロ見ている自分に気が付いた。
頭は打ったようだが、ヘルメットのお陰でOK。頬骨と膝は赤く腫れて痛いが、今からお嫁に行く訳ではない。問題は、帰ってから、お母さんに「年甲斐も無くスピードを上げるから・・」とか、「自転車止めて」と
言われないかとヒヤヒヤ。流石に「止めて」は無く、セーフ。教訓「濡れた道での急ブレーキ」。
本日の自転車走行データ D:26.29 T:1.26.31 A:18.2 M:32.5 O:18600
注)写真は、事故忘れまじ(曲がってしまったサングラスで顔を覆い、ションボリうつむいたジジ)
――誰も居ない海岸でセルフタイマー・パチリ。
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